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前回の続きです。

1982年の「スリラー」の世界的成功の後、名実ともに“King of Pop”としての活躍が続きます。

1985年(27歳)には、エチオピア難民救済チャリティー「USA for AFRICA」へ参加し、「ウィ・アー・ザ・ワールド」をライオネル・リッチーと合作。

1987年(29歳)には、クインシー・ジョーンズのプロデュースでアルバム「BAD」をリリース。
前作「スリラー」の世界的成功のプレッシャーを跳ねのけ、前作のクオリティを更に磨き上げ、高い評価を得ます。ビルボードではタイトルナンバー「BAD」をはじめ5曲が連続1位を記録し、全世界で2800万枚というビッグセールスを記録しました。


イギリスの大女優エリザベス・テイラーによって“King of Pop”と称され、「スリラー」「BAD」の2枚のアルバムで世界のトップスターに上り詰めた存在でしたが、その地位に落ち着くことをせず、その後もどんどん新しい挑戦を続けます。

1991年以降は、それまでのクインシー・ジョーンズとのタッグを解消し、マイケル自身とプロデューサーによる共同プロデュースによって、「DANGEROUS」以降のアルバムを次々にリリース。唯一無二の音楽性とパフォーマンス、高いクオリティの楽曲に、更に磨きをかけていきました。

その後の活動は余りにも多岐に渡り枚挙にいとまがなく、ここでは割愛します。


そして・・・突然の死。

2009年6月25日、心臓麻痺により自宅で心配停止状態となり、帰らぬ人となります。
死因は、CNNによると専属医が処方していた麻酔薬が起因していると報道されています。記憶に新しい、ショッキングな出来事でした。


次に、マイケルの音楽性について。

【 オリジナリティの高いヴォーカル + クオリティの高い楽曲 + パフォーマンス 】

これがマイケルの魅力です。

マイケルの天才的な歌唱力と、ソウル、R&B、ハードロックなど多くのジャンルをポップスに融合させたクオリティの高い曲、それに、ムーン・ウォークやバックダンサーの導入などダンスパフォーマンスを駆使したスピード感あふれるライブ・パフォーマンス。

サウンド面でもパフォーマンス面でも、現在の全世界のアーティストに与えた影響は計り知れません。


次に、マイケルの人物像について。

その派手なパフォーマンスとは裏腹に、実はシャイでナーバスで、相当の恥ずかしがりやでした。

名盤「スリラー」のレコーディングの際に、恥ずかしさをしのぐためにスタジオの電灯を消し、ソファーの影でレコーディングしていたという逸話もあります。

また、その優しく利用されやすい性格のため、ゴシップ記事やメディアでの揶揄はハンパじゃないぐらい多く、マイケル自身はそれに相当苦しめられていたようです(しばしば曲で歌っています)。

金銭目的で訴えられることが多く、その数はなんと1500件以上。ちなみに、子供への性的虐待を訴えられた裁判は、無罪判決でした。

献身的な性格であったことも良く知られており、「USA for AFRICA」をはじめ、アメリカ同時多発テロ被災者救済チャリティーや、カトリーナ(ハリケーン)被災者救済チャリティーなど、関わったチャリティーやチャリティーソングのリリースは数多く、寄付金も膨大な額に上ります。

世界各地でも慈善活動を行い、世界中の不幸な子供達への“ヒール・ザ・ワールド基金”を立ち上げています。


最後に、マイケルの人間性について。

ポップス界のトップに君臨しながらも、マイケルは純粋な心を常に持ち続けていました。
自宅に遊園地と動物園を併設したり(「ネバーランド」)、やることの規模は大き過ぎますが・・・)

完璧である音楽やダンスとは裏腹に、純粋であるが為に持ち合わせる、〈人としての弱さやもろさ〉に共感する部分は非常に多いです。

マイケルのコアなファンは、結局のところマイケルの人間性が好きであり、「マイケル・ジャクソン」という人物そのもののファンである人がほとんどなのです。


今回も、つたない長文を最後までお読みいただき、有難うございました。

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