2009/11/26 14:54:13
富士の峰も雪化粧を終え、冬の足音を間近に感じるこの頃です。
今日は、ギネスで『史上最も成功したエンターティナー』として認定される史上最高のシンガー、マイケル・ジャクソンについてのお話。
余りにも有名で話題性に富んだ人物であり個性的なため、ゴシップや中傷も多く、誤ったイメージで捉えている人も少なくないと思います。
その輝かしいキャリアと人物像について、ご紹介したいと思います。
まずは出生から。
1958年8月29日、インディアナ州(アメリカ)の黒人街で10人兄弟姉妹の8番目、6男として誕生します。
父親は製鉄所のクレーン操縦士で貧しい家庭であったようですが、バンドのギタリストとしてのキャリアを持っていた父親の影響で、音楽の道へ進んでいく事になります。
父親が大切にしまっていたギターを兄弟で隠れて弾くようになり、その演奏をこっそり聴いていた父親は息子達の演奏が上手いことに気付きます。
そして、貧しさから抜け出せるかもしれないという期待から、息子達へ歌の訓練を始めました。
マイケルも、父親にみそめられて歌を始めることになったのでした。
<ジャクソン5(一番右がマイケル)>
そして、マイケルが5歳のとき、兄弟で結成したバンドのヴォーカルを担当するようになり、地元のナイトクラブやイベントで演奏を始めて徐々に名前が知られるようになり、1966年(8歳)のときに“ジャクソン5(ファイブ)”として活動を開始しました。
ジャクソン5は2年間の下積みを経て、名門レーベル『モータウン』と契約。
デビュー曲“アイ・ウォント・ユー・バック(帰ってほしいの)”でメジャーデビューを果たし、マイケルはリードヴォーカルとして天才児ぶりを発揮。
瞬く間に全米チャート1位を獲得し、華々しいデビューを果たしました。
さらに、続く“ABC”などデビューより4曲連続で1位を獲得し、ジャクソン5は当時の10代アイドルバンド(いわゆるボーイ・バンド)の典型として、黒人アイドルグループとしては初めて白人にも受け入れられた存在となったのでした。
1975年にはレーベルをエピックへ変更してグループ名を“ザ・ジャクソンズ”に改名し、セルフプロデュースによって活躍を続けます。
グループと並行してソロ活動を行っていたマイケルですが、名プロデューサー、クインシー・ジョーンズにみそめられて1978年(21歳)頃からソロ活動を本格化させます。
1979年に制作された初のソロアルバム『オフ・ザ・ウォール』では、それまでのジャクソン5やザ・ジャクソンズでの天才少年ヴォーカリストのイメージから見事に脱却し、時代を感じさせるソウル色の強いポップスが評価され、全世界で2000万枚のセールスを記録する大ヒットとなります。
そして・・・ポップスの金字塔となるアルバムが誕生します。
1982年(24歳)にクインシー・ジョーンズのプロデュースで制作されたアルバム、“スリラー”です。
<“スリラー”のアルバムジャケット>
前作『オフ・ザ・ウォール』でのソウル色は為りを潜め、時代を先取りした斬新な楽曲とアレンジ、マイケルのオリジナリティの高いヴォーカルを前面に押し出した作風です。
このアルバムで打ち出された、それまでのプロモーションビデオの概念を変える、“ショートフィルム(短編映画)”といわれる、映像効果やダンスを盛り込んだ映像と、完成度の高い楽曲やアレンジは、その後の80年代ポップスの方向性を決定づけるほどのインパクトを与えたのでした。
ちなみに、現在のプロモーションビデオでは、リードシンガーのバックでダンサーがダンスするという映像は当たり前ですが、このシーンの原点となったのが、この当時のマイケルのプロモーションビデオでした。
“スリラー”は全米チャートで37週に渡り1位を記録し、同年のグラミー賞では史上最多の8部門を独占。
現在でもアルバム売上の世界記録となっています(ギネス認定、1億400万枚以上)。
<次回へ続く・・・>
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