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前回の続きをお話しします。

麻薬、酒、女といった快楽にどっぷりと浸かり、当時のジャズ・ミュージシャンの典型ともいうような生き様ながらも、ジャズ・シーンでの第一線で活躍するマイルスに、突然の悲報が飛び込んできます。

1954年、チャーリー・パーカーが麻薬中毒によって、34歳の若さでこの世を去ります。

“モダン・ジャズの父”といわれ、自分が追い求めていた偉大なジャズメンの、あまりにも早すぎる死。
マイルスにとっては、相当ショックであったのは間違いなく、これをきっかけに麻薬との決別を決意するのです。

ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンス、バド・パウエルなど、チャーリー・パーカー以外にも、麻薬による精神の高揚に溺れてしまい命を落としてしまったジャズメンは多く存在しました。
しかし、実質上の白人社会であった当時のアメリカでは黒人が多方面で活躍し始め、徐々に社会的地位を認められるようになっていた時代であり、ジャズメン達も精神的な自立を求めて麻薬離れを始めていたのです。


その後のマイルスは、ビバップを始めとしたそれまでの過激で個人テクニック重視のジャズから、オシャレで控えめ、アンサンブルを盛り込んだ演奏スタイル=“クール・ジャズ”を提唱していきます。

また、ソロの演奏スタイルも、それまでの個性重視で緊張感の高い演奏から、曲のテーマやメロディを重視し、それに沿って演奏するスタイル=“モード”を提唱していきます。


また、1960年代には、エレクトリック・ピアノやエレキ・ギターといった電子楽器や、8ビートのリズムをジャズへ大胆に取り入れ、その後の1970年代のフュージョン・ブームのさきがけとなり、1980年代には、ロック、ポップス、ファンク、ヒップホップといった時代を先取るジャンルを積極的に取り入れ、オリジナリティの高い音楽へ昇華していきました。

そして、その偉大なジャズメンは、誰も残すことの出来ない数々の大きな足跡を残し、1991年9月28日、65歳で永眠します。


次に、マイルスの人物像と音楽性について。

マイルスのトレードマークといえば、まずは歌うようなミュート・トランペットです。

ビバップという激しく超絶的な技巧がもてはやされていた時代に登場し、実は不器用で技巧的な演奏が得意ではなかったマイルスは、独自のプレイスタイルやジャンルを確立し、個性で技術を見事にカバーしていきます。

そして、唯一無二のマイルスサウンドを確立させ、後に“ジャズの帝王”と呼ばれるまでの存在になったのでした。

また、マイルスは時代の最先端(ヒップ)へのこだわりを持ち、ステージ衣装や車、ライフスタイルまで常に最先端を行くことを意識していました。サウンドについても、ジャンルへのこだわりは持たず、若手ミュージシャンをどんどん登用していき、常に最も新しい音楽を意識した音づくりを追及していました。


マイルスの魅力は、ズバリ・・・

バックメンバーの洗練された音づくり+マイルスの人臭い演奏

このギャップの心地良さにあります。
強力なバンドメンバーによるタイトな演奏に、マイルスの人間味やカリスマが調和する絶妙な音のバランスが、非常に心地良いのです。

そして、時代を試行錯誤する緊張感、つまり、時代の最先端を意識した実験的なサウンドが生み出すスリル感を常に生み出していたのが、マイルスの凄みです。音楽やその時代背景を理解すればするほど、そのスリリングな演奏が楽しめるのではないかと思います。



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