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暖冬であった今年の沼津でしたが、いよいよ寒さが本格的となりました。
新しい年も早や2週間が経過しましたが、皆様どのようにお過ごしでしょうか?

さて、今日は地元FM局「エフエムみしま・かんなみ(FMボイス・キュー 77.7MHz)」さんの番組「すまいるトレイン(9:00~13:00)」のコーナー「音楽のある暮らし(11:20~)」の12月27日(土)放送分より、お話をさせていただこうと思います。

今回は、ヨーロッパ古典派音楽を代表する大作曲家、ベートーヴェンについてのお話。その偉大な足跡や人物像、ピアノとの関わり合いについてお話したいと思います。


ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、1770年にドイツのボンで誕生します。父親ヨハンは宮廷に仕えるテノール歌手でしたが、アルコール依存症により生計は苦しかったようです。

その父親は、4歳の頃よりベートーヴェンにピアノレッスンを施します。父親の思いは、6歳より演奏旅行をして“神童”の名を欲しいままにしていたモーツァルトの幼少時代とわが子を重ね、“第二のモーツァルト”に仕立てたかったようです。大変厳しいレッスンだったようで、ベートーヴェンは体罰を受けて涙を流しながらピアノを弾いていたとも。

そして7歳のとき、ドイツのケルンで初めての演奏会を開きます。


父親の影響により、ベートーヴェンの憧れの人はモーツァルトでした。16歳でウィーンに旅行で滞在したとき、憧れのモーツァルトと出会い才能を認められて弟子入りを決め、ウィーンでの音楽活動を始めようとしますが、故郷の母親が亡くなり、生計を支えるためにやむなくボンに戻るのでした。

22歳のとき、チャンスが訪れます。ボンに滞在していたハイドンに才能を認められ、ウィーンでの弟子入りを認められたのです。これを機にベートーヴェンはウィーンに移り音楽活動をスタートし、ピアノの名手として活躍、徐々に作品も高い評価を得ます。


ところが20代後半になると、ベートーヴェンを難聴が襲い、音楽家にとって命ともいえる耳が聞こえなくなっていきます。絶望の淵に立たされ30代には自殺も考えますが、音の聴こえない世界と闘いながら幾多の名作を世に残し、古典派音楽の中心的人物としての地位を確立した、偉大な音楽家だったのです。


ここで、ベートーヴェンの人物像について。

一般的には、難聴と闘いながら音楽活動を続けた「苦悩の人」「努力の人」としてのイメージが強いベートーヴェンですが・・・実は相当の変わり者であったようですね。


続きは、次回にお話ししたいと思います。

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