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富士山も雪化粧を終え、すっかり冬らしくなりました。
いよいよ冬本番、風邪に負けずに年を終えたいものですね。

さて、今回は地元FM局「エフエムみしま・かんなみ(FMボイス・キュー 77.7MHz)」さんの番組「すまいるトレイン(9:00~13:00)」のコーナー「音楽のある暮らし(11:20~)」の11月22日(土)放送分より、お話をさせていただこうと思います。


今回は、歴代最高のバンド“THE BEATLES”の1962年のデビューから1970年の解散までの、その8年間の功績をたどってみたいと思います。

その偉大なバンドは、1960年にイギリスの港町リヴァプールで結成されました。
バンド名の由来は、昆虫の“BEETLES(カブトムシの複数形)”と音楽の“BEAT(打楽器を叩く)”を合わせた造語です。


メンバーは、ジョン・レノン(ヴォーカル/ギター)、ポール・マッカートニー(ヴォーカル/ベース)、ジョージ・ハリスン(リードギター)、リンゴ・スター(ドラム)の不動の4人でした。

8年間の活動期間中に公式発表された213曲のうち、その8割以上をジョン・レノンまたはポール・マッカートニーが作詞作曲し、結成当初の「どちらか一方が単独に作った曲でも連名で発表する」といった約束どおり、“レノン=マッカートニー”とクレジットされています。

純粋な二人の共作は、実際は十数曲程度といわれ、それらの曲は実際にジョンかポールのどちらがリード・ヴォーカルを取っているかで、ある程度判断できます。

また、ジョージ・ハリスンも中期以降は作曲しており、20曲程度を作詞作曲しました。つまり、3人のシンガーソング・ライターが存在したバンドでした。


アマチュア時代は、ライブバンドとして主にドイツのハンブルグでライブ活動を行っていました。
そして、1962年8月には先述のメンバーに固定され、10月にシングル「ラブ・ミー・ドゥ」でイギリスデビュー。翌年にはファーストアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」を発表します。このデビューシングルとアルバムの爆発的なヒットとともにイギリス中が熱狂し、社会現象となりました。


そして、イギリスデビュー3年後の1964年に、シングル「抱きしめたい」がアメリカで大ヒット。イギリスを凌ぐ熱狂ぶりで、アメリカでもまたたく間に社会現象となります。

1964年4月のアメリカのヒット・チャートでは、5位までの曲がビートルズ・ナンバーで、トップ100のうち14曲がビートルズ・ナンバー、また1964年の年間53週のうち19週の1位がビートルズ・ナンバーであったり、アメリカのTV番組「エド・サリバンショー」に出演し72%の視聴率を記録するという、異常なまでの熱狂ぶりでした。


その後、世界各国で爆発的な人気を誇りライブ・ツアーを行いますが、メンバー自身はライブ重視の活動に疑問を持つようになっていました。

あまりのファンの熱狂ぶりに(相当な絶叫ぶりであったそうです)メンバーはまともに演奏が出来ず、音楽性を追求できる活動状態ではなかったのと、過酷なスケジュールやホテルでのカンヅメ生活に嫌気が差していたのです、

1965年に発表された「ヘルプ!」は、こうした理想と現実のギャップに苦しんだメンバーのメッセージでした。


(次回へ続く・・・)

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