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<第4話 国産ピアノの誕生>

19世紀半ばにピアノのメカニズムはヨーロッパで完成の域に達し、その技術は日本にも伝播していきました。

1897(明治30)年、浜松で日本楽器製造(現ヤマハ)を設立し、オルガン製造を行っていた山葉寅楠(やまは とらくす)は、欧米のピアノメーカーを模範とし、1900(明治33)年に国産第1号のアップライトピアノを完成させます。その後、当時すでに最先端のメーカーであったドイツのベヒシュタイン社から技術指導を受け、ヨーロッパのピアノを模範として改良を加えていきます。

また、日本楽器製造の技術者であった河合小市(かわい こいち)は、その後独立して河合楽器製作所を設立。小市を慕う多くの技術者が賛同し、一大メーカーに成長していきました。

ベヒシュタイン(ドイツ)やスタインウェイ(アメリカ)のピアノは、国産ピアノ誕生期から現在に至るまで、国産ピアノの模範として多大な影響を与えています。

そして、第二次世界大戦を経て日本経済が高度成長を遂げると同時に、国産ピアノは大量生産の時代を迎えます。

1965(昭和40)年にはヤマハが世界一規模のアップライトピアノ工場を、1980(昭和55)年にはカワイが世界一規模のグランドピアノ工場を設立。国産ピアノはアメリカ、ヨーロッパをはじめ世界各国に輸出され、現在では生産量トップ規模を誇る“ピアノ大国”となりました。



日比谷松本楼(東京都千代田区)に現存する国産第1号のピアノ

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