2010/07/25 11:44:09
今日は、FMボイスキュー(77.7MHz)7/24(土)の放送ネタです
スタインウェイ&サンズと並ぶ世界のピアノメーカーの権威で、ヨーロッパの代表格メーカー“ベヒシュタイン”。
その歴史と魅力について、お話します。


時は、中世のヨーロッパ。
各国で市民革命が起こり、絶対王権の時代から市民階級の時代へ移り変わり、ピアノも上流階級から市民階級へ普及していきます。
また、18世紀後半にイギリスより始まった産業革命によって工業技術が進歩し、イギリスやフランス、ドイツでピアノの生産技術も飛躍的に進化します。
そして、ピアノ音楽が大衆化し、クラシック音楽でいう『ロマン派』の時代に入り、ショパンやリスト、シューマンなどの活躍とともにピアノ音楽が全盛を迎えます。
ベヒシュタインが誕生したのは、そんな時代。
ドイツのピアノ職人、カール・ベヒシュタインによって、ベルリンで創業します。
寄寓にも、スタインウェイがニューヨークで創業したのと同じ年でした。

<創業者カール・ベヒシュタイン>
カールは、リストやドビュッシー、フォン・ビューロといった時代を築き上げた音楽化との親交を図り、それらの音楽家の要求に応えるピアノを開発していった結果、唯一無二の優れたピアノを製作することに成功。
発展途上にあったピアノのメカニズムを進化させ、ロマン派以降の音楽家に与えた影響や音楽的貢献は計り知れません。

<1800年代後半のベヒシュタイン>
その後も多くの音楽家の高い評価を得て、一大ブランドとしての地位を確立したのでした。
1900年に創業した日本楽器製造(現ヤマハ)が、河合小市氏(後の河合楽器製作所の創業者)らの技術チームをベヒシュタイン社に派遣して技術を習得し、その後のピアノ製作の模範としていた事実を考えますと、日本のピアノの“親”ともいうべきメーカーであると思います。
しかし、第二次世界大戦で、ドイツは敗戦国となります。
空襲によりベヒシュタインの工場は破壊されてピアノ製造はストップ、戦後処理の中で連合軍の管理下に置かれます。
1940年代の終わりにベヒシュタインは徐々にピアノ製造を再開していきますが、アメリカのボールドウィン社に経営権が移り、ボールドウィン社の主導の下でピアノ製造を継続していきます。
そして、1986年。ベヒシュタインにとって大きな転機が訪れます。
ドイツのピアノ製作者の手によって、経営権がドイツ人の下へ戻されたのでした。
ドイツ国内(ザクセン州ザイフェナースドルフ)とチェコ(フラデツクラロベ)に工場を設立し、戦後より着実に復興してきたベヒシュタインは、名実ともに復興を遂げたのでした。
その後もシュナーベル、ケンプ、ホルヘ・ボレットや、フジ子ヘミングなど、多くの名ピアニスト達が、ベヒシュタインとともに音楽史を歩んでいます。
(次回へ続く・・・)
ベヒシュタイン社オフィシャルWEB(日本語):http://www.bechstein.de/

スタインウェイ&サンズと並ぶ世界のピアノメーカーの権威で、ヨーロッパの代表格メーカー“ベヒシュタイン”。
その歴史と魅力について、お話します。
時は、中世のヨーロッパ。
各国で市民革命が起こり、絶対王権の時代から市民階級の時代へ移り変わり、ピアノも上流階級から市民階級へ普及していきます。
また、18世紀後半にイギリスより始まった産業革命によって工業技術が進歩し、イギリスやフランス、ドイツでピアノの生産技術も飛躍的に進化します。
そして、ピアノ音楽が大衆化し、クラシック音楽でいう『ロマン派』の時代に入り、ショパンやリスト、シューマンなどの活躍とともにピアノ音楽が全盛を迎えます。
ベヒシュタインが誕生したのは、そんな時代。
ドイツのピアノ職人、カール・ベヒシュタインによって、ベルリンで創業します。
寄寓にも、スタインウェイがニューヨークで創業したのと同じ年でした。
<創業者カール・ベヒシュタイン>
カールは、リストやドビュッシー、フォン・ビューロといった時代を築き上げた音楽化との親交を図り、それらの音楽家の要求に応えるピアノを開発していった結果、唯一無二の優れたピアノを製作することに成功。
発展途上にあったピアノのメカニズムを進化させ、ロマン派以降の音楽家に与えた影響や音楽的貢献は計り知れません。
<1800年代後半のベヒシュタイン>
その後も多くの音楽家の高い評価を得て、一大ブランドとしての地位を確立したのでした。
1900年に創業した日本楽器製造(現ヤマハ)が、河合小市氏(後の河合楽器製作所の創業者)らの技術チームをベヒシュタイン社に派遣して技術を習得し、その後のピアノ製作の模範としていた事実を考えますと、日本のピアノの“親”ともいうべきメーカーであると思います。
しかし、第二次世界大戦で、ドイツは敗戦国となります。
空襲によりベヒシュタインの工場は破壊されてピアノ製造はストップ、戦後処理の中で連合軍の管理下に置かれます。
1940年代の終わりにベヒシュタインは徐々にピアノ製造を再開していきますが、アメリカのボールドウィン社に経営権が移り、ボールドウィン社の主導の下でピアノ製造を継続していきます。
そして、1986年。ベヒシュタインにとって大きな転機が訪れます。
ドイツのピアノ製作者の手によって、経営権がドイツ人の下へ戻されたのでした。
ドイツ国内(ザクセン州ザイフェナースドルフ)とチェコ(フラデツクラロベ)に工場を設立し、戦後より着実に復興してきたベヒシュタインは、名実ともに復興を遂げたのでした。
その後もシュナーベル、ケンプ、ホルヘ・ボレットや、フジ子ヘミングなど、多くの名ピアニスト達が、ベヒシュタインとともに音楽史を歩んでいます。
(次回へ続く・・・)
ベヒシュタイン社オフィシャルWEB(日本語):http://www.bechstein.de/
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