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富士山も雪化粧を始め、冬の訪れを少しずつ感じる季節となりました。

さて、今回は地元FM局の「エフエムみしま・かんなみ(FMボイス・キュー 77.7MHz)」さんの番組「すまいるトレイン(9:00~13:00)」のコーナー「音楽のある暮らし(11:20~)」10月25日(土)放送分より、お話をさせていただこうと思います。


今回は、“ピアノの詩人”ショパンの人物像と作品の魅力について。

まず始めにお断りいたしますと・・・番組が15分枠で話をするボリュームが限られますので、生粋のショパンファンの皆様にとっては物足りない内容かと思いますが、ご容赦下さい。


フレデリック・フランソワ・ショパンは、ロマン派音楽の時代を代表するポーランド出身の作曲家・ピアニストです。39年の短い生涯のなかで多くの作品を世に送り出しましたが、そのほとんどがピアノ曲であり、その音楽人生をピアノと共に過ごした音楽家です。

1810年3月1日、ポーランドで生まれたショパンは、4歳よりピアノを習い始めますが、7歳の頃には既に作曲を始めています(この辺から凡人とはやっぱり違います)。そして8歳のときには社交界で演奏を始めており、ポーランド社交界では“第2のモーツァルトの登場”といわれました(ちなみに、“神童”モーツァルトは6歳で演奏活動を始めています)。

16歳のときにワルシャワ音楽院に入学しますが、同じ音楽院の学生でソプラノ歌手であった「コンスタンツィア」という女性に心を奪われます。ところが、音楽院のマドンナ的存在であったコンスタンツィアのファンは多く、ナイーブであったショパンは彼女をただ傍観するのみ。結局は、気持ちすら打ち明けることができなかったそうです。この思いは作品で昇華されており、「ピアノ協奏曲 第2番 第2楽章」などがそれにあたるといわれています。

19歳でワルシャワ音楽院を首席で卒業した後、ウィーンの音楽界で華々しくデビューしますが、活動が思うように続かず21歳のときにパリ音楽界への転身を決意します。

そしてパリへの道中、故郷ワルシャワのロシア支配に対する革命が失敗に終わったことを知ります。ロシア軍に占領されてしまった故郷の両親や兄弟、友人への心配と、絶望、怒りが込み上げ、それまでにない激しい作品が誕生しました。それが「革命のエチュード」です。


・・・続きは次回へ。

 

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