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前回の続きです。

パリへ移り住み、パリ音楽界で高い評価を得たショパンの前に、ある女性との再会がありました。

その相手は、第二の恋人となる“マリア・ヴォジンスキ”。
マリアはショパンの幼なじみであり、家族ぐるみで付き合っていた同じポーランド出身の貴族の娘でした。ショパンは26歳のとき、マリアに求婚します。

しかし、この頃からショパンは当時は不治の病であった肺結核にさいなまれており(その後ショパンは肺結核と闘いながら生きていくことになります)、ショパンの病弱さや身分の違いを認めなかった(ショパンは平民でした)マリアの両親に強く反対され、婚約は認められませんでした。


マリアとの破局の悲しみに沈んでいた頃、パリの社交界で第三の恋人“ジョルジュ・サンド”と出逢います。
サンドはパリで活躍していた女流作家で、一度は結婚して2人の子どもを持ち、活発な正確でスキャンダルの多い女性であり、内気で繊細であったショパンとは全く逆の性格の持ち主でした。

最初は、ショパンのサンドに対する印象はあまり良くなかったようですが、社交界で顔を合わせる度に次第に引き寄せられていったのです。

サンドは、肺結核であったショパンの療養や、作曲に専念できる環境を整え、ショパンのパトロンとして音楽活動を支え、「バラード4番」や「英雄ポロネーズ」など多くの傑作が生まれることとなります。

しかし、一途で純情派であったショパンと、エネルギッシュで開放的であったサンドでは、余りにも恋愛間が違いすぎ、次第に行き違いの多くなった二人は、9年間の交際の後についに破局を迎えます。

そして、3年後の39歳で、ショパンはその短い生涯を終えます。


ショパンは、人との愛情や友情に多くのエネルギーを費やした“情”の人でした。

ショパンの作品のあちこちに漂う哀愁や、ドラマティックで歌うようなメロディは、その切ない恋愛への愛情表現であったり、肺結核の闘病生活のストレスや苦しみからの解放であったり、ショパンの行き場のない感情がエネルギーの源となっていたのです。

人が誰しも持ち合わせている「悲しみ」や「報われない気持ち」が、天才音楽家によって音楽として昇華されたもの、つまり、クラシック界の“ブルース”、それがショパン作品の魅力ではないでしょうか?

だからこそ、時代を超えて心に染みるフレーズが多く、現代においても多くの共感を得るのではないかと思います。



ショパンが使用していた同型のプレイエル(フランス)のピアノ(左側)
ショパンが愛用したジョルジュ・サンド邸のプレイエルのピアノ(右側)


プレイエルピアノの詳しい情報はこちら↓
http://www.pianoshop.co.jp/import/pleyel.html

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